みんなが救われますように。

「絶望するな。僕達には西加奈子がいる。」


これは、文庫版『炎上する君』の帯に寄せられた又吉さんの言葉。
又吉さんは、どんな想いでこの言葉を選んだのか、
この言葉の意味を、体感できる時間でした。

話を聴いている間に何度も目がウルウルし、
聴き終って、心臓のバクバクが止まらず、
素晴らしい時間だったので、久しぶりに残します。
あくまでわたしの目線を通したものであることと、
多少の受け取り方の違い・足りない部分は
勝手ですが、お許し頂ければと思います。




まずはおひとりで後方の入り口から西さんの登場。
とても大事そうに、本を抱えながら入ってこられました。
その後、花束を抱え登場した又吉さん。
思ったよりも席が遠かったため、途中で半笑いになりながら、西さんのもとへ。
又吉さんの抱える花束が、西さんの待つ位置からは見えなかったようで、
「なんかセロハン持ってはる。」と思ったら、花束だと分かり、西さんとても喜んでいる。


その後、その花束を置くための椅子などを又吉さん自ら運んだりする柔らかな雰囲気の中
お話はスタートしました。


●又吉さんが良かった。
先日発売された『ダ・ヴィンチ*1でも『サラバ!』についての西さんと又吉さんの対談が掲載されており
その時も二時間くらい話したので、ここでは違う方を呼ぶべきだったと思うけども、
西さんはどうしても又吉さんに来てほしかったそう。
その理由は、又吉さんに言葉をもらう時間をほんの少しでも増やしたかった。
10年作家をしていると色々批判や嫌なことを言う人もいる中で、
又吉さんからの言葉で全くブレなくなった。
「あの人(又吉さん)が面白いって言ってくれたら大丈夫。」
と思えて、出逢ってからの5年は健やかに過ごせたと言います。


と又吉さんのハードルを大いにあげた西さん。
又吉さんは話すのに緊張してしまう。
二人の出会いは、太宰の生誕100年にあたる2009年に始まった『太宰ナイト』*2のゲストとして
又吉さんが西さんを呼んだこと。


●嫉妬。
又吉さんが本に求めるのは「笑い」と「切実さ」。
西さんの物語の中には、その目線と笑いがある。
せきしろさんや中村文則さんから「西さんは面白い」「ほんと面白い」という言葉を聞いていて、
始めは「西加奈子という存在」に嫉妬していた。
又吉さんのエッセイを読んだ人にも「西さんを好きでしょ」と言われることが多く、
会うことにビビッていた。
そして、ご本人に会うまでは、
西さんのことを上沼恵美子さんのような人だと思っていたそう。


●研究家。
西さんから見た又吉さんは
「男らしい」「紳士」「挨拶の際、深々と頭を下げる」
「嘘ついたらアカン。」
そういう人。
『太宰ナイト』終演後の楽屋で、
又吉さんが芸人さんの中で一番先輩で、みんながガヤガヤしている中、
しずるの村上さんに「村上ありがとな。」と言っていたのを西さんは聞いた。
むしろ、耳をダンボにして聞いていた。
その光景がとても美しいものだったと。
それから、又吉さんの脳味噌をストローさして吸いたいくらい
又吉さんに惹かれ、色んなライブを観に行ったり、
幸運にも話す機会があったので、あそこはどうしてそういうオチになったのか聞いたり
又吉研究をするほど、幸せな出逢いだったと。



●言葉にする才能。
「ファニーだけじゃなく、何でそんなこと思いつくの?」と西さんも嫉妬する又吉さんの才能。

その時の下北沢駅前の風景は濁り気無しに汚れていて絶望的に輝いていて、
とてもブルースだった。*3

この部分を読み上げた西さんは「コレやで!めっちゃいいねん。」
又吉さんも自分が書いたことを忘れながら「Tシャツにしたいっすね。」と。
汚れと輝きが一緒に存在する。
これを書きたいと西さんは思っていた。
『東京百景』には「神様」という言葉を使ってなくとも「神様」がたくさん出ていて*4
神様はそこらへんにいるんやでと書いている。
小説を書くことと神様を書くことは相性がいい。
そのことも西さんは書きたくて書いたのに、
『東京百景』を読んでいたけど、もう一度今読み直したら、
パクったと思われるんじゃないかと不安になった。


それを聞いた又吉さんは自分の経験を話してくれました。
以前話されていたものがあったので、そちらを。

Twitter
「国民標準服の上下Mを2枚下さい。群青色とビリジアンがある? 二色作ったらあかんやん」って書いたんですけど、
“あれ? これ……”と思って、太宰の『服装に就いて』っていう短編を開いてみたんです。
そうしたら、最後「国民服は、如何。」で終わってる。
ただ、僕は「服装に就いて」から着想を得て、「国民標準服の上下Mを2枚下さい」って書いた訳ではなくて。
いろんな葛藤があってそう書いただけなんですけど*5

というように自分もそういう経験があるが、
それはパクったとかではなく、西さんの中にもともとあるものなんだと話されていました。



「すごくおこがましいけど…」と前置きをしながら
西さんにとって又吉さんは「大切にしたいもの」「面白いと思うもの」が一緒だと思っている。
「不気味さ」と「切実さ」を感じるのが一緒。
『東京百景』の「二十四 五日市街道の朝焼け」に登場する友人の話がそれにあたるそう。
彼が自分のこととして話していたのは又吉さんのことだった。
それは一見、不気味さも感じるけれど彼の切実さも感じられる。
又吉さん曰く「そいつが僕の昔を全部持っていってくれたから東京に来れた。」



●「人間」
又吉さんは本のタイトルを「人間」に置き換えられるかと考える。
「人間」という言葉が又吉さんの中のキラーワード。
人間だけで言えんものがある。人間のことを書いているかというのが大事。
作品が「人間」で、副題がタイトルだと思っている。


●モヤモヤを言葉にできる人。
又吉さんは『サラバ!』を読んでいる時に、今までの西さんの作品が色々出てきたと言います。
なかでも『あおい』が無性に読みたくなった。よく似ていると。
書くことに理由がある。書かなあかんかった。
「必然性と…重いパンチ」があったんではないかと。
しかし「重いパンチ」という言葉のチョイスがダサいと
言いかけて飲みこんでしまう。


又吉さんは書きたいと思って書いたことに、言葉を与えてくれる。
思いがけない欲しい言葉をくれる。
又吉さんに言われて、やっと成仏した。
生まれ直す物語。
読んで来た物語が糧になる。


サラバ!』を読んだ又吉さんが
「後半ずっと立って拍手しているみたいでした。」という言ってくれた時、
西さんは『サラバ!』の後半を「髪の毛でつくった筆とクレヨンで立って書いている気持ち」
だったので、そういわれてびっくりしたそう。


書かれていることはひとつ。
背負ってきている人生があるから、
青色っていっても色が違う。
委ねるんじゃなくて、それぞれで解釈できるのが面白い。


●又吉さんにとって。
今でも太宰をすごく又吉さんは読んでいる。
太宰を読んでいると、今太宰がおってくれたらなと思うことがある。
西さんの物語を読んでいると、太宰と被る部分があり、
西さんに任せようと思える。
絶望を引き受けた上で、希望に転嫁させる。
「絶望するな。僕達には西加奈子がいる。」
この言葉は、又吉さんの敬愛する太宰と西さんが重なるということから、
太宰の『津軽』の

命あらばまた他日。元気で行こう。
絶望するな。では、失敬。

を読んだ時の、感動を言葉にした。


●世界。
世界に対して、輪郭が淡い自分でいたい。
世界ともっと混ざり合いたい。
世界から力をもらってる。
言葉にするかが問題で想いとか形関係ない。
その時、その人から出た言葉に意味がある。
耳を澄ます作業になる。
さらけ出す。
そこと交った、そこでもらった文章を、西さんは書く。



『東京百景』には書下ろし部分が60篇近くあり、
本を出すことになった際、その場所場所に実際に行きたいと又吉さんはお願いして、
実際に行って書いたそう。
自然と喋ることが物語になっていく。
自分の才能超えたカウンター打ってくる。
又吉さんのエッセイは、エッセイから物語になっている。


「何か欠けても、一つでも、一秒でも、違ったら変わっちゃうんだろうな。
 世界に対して混ざれる自分でありたい。」
と西さんは話されていました。


●触覚。
西さんは人や物にとても触れる人。
「めっちゃ触りたい、さわりとーてしょーがない。」
その姿を又吉さんは「ちゃんと触れてそのものを理解しようとする。僕にはない感覚。」と。


●究極。
又吉さんは、アナログの人。
アナログは尊い
本・本屋って究極のアナログ。
西さんは、この体である限り、逢いたいし触りたい。


当たり前が難しい。


文章を書くって、もらうものがある重さったらない。
思いがけないことっていっぱいある。
だから、長生きしたい。
そして、又吉さんからの言葉を、時々胃から出して味わいたい。
これあったら訳の分からんこと書いても大丈夫。
サラバ!』は書きながら辛かったけど、書けて良かった。
みんなが救われますように…という想いをこめて書いた。


又吉さんも「マイノリティー全開のおねえちゃんめっちゃ好きです。」と。
終わりの時間が近づき「西さんに質問ある方もいらっしゃるんじゃないですかね?」
と又吉さんが聞くも西さんは恥ずかしいようで、そのまま終わりに。


最後は、途中西さんに話を繋いでもらった際、
「又吉さんはたこ焼きが好き」という大阪丸出しな話題を最後もまたいじられ、
「たこ焼きって何ですか?」と知らないふりをするも
手が丸まってしまっているという微笑ましい雰囲気で一時間を少し過ぎて終演となりました。


一時間に渡るお話は、本当に素晴らしいものでした。
一時間なのに、ものすごい濃厚。


このイベントの前に、西さんの小説は読み終わった時に希望があるという話をしていて
そんな話が出てきて、嬉しかったり。
サイン会にも参加させてもらったのですが、
西さんの懐の深さを感じました。
笑顔で迎えてくれ、緊張もほぐしてくれ、
あの声で気持ちのある「ありがとう」
この人の書く物語を読んでいきたい。そう強く思いました。


西さんの発売記念のトークショーなのに、
西さんがあの真っ直ぐな言葉で、又吉さんへの想いを口にしていて、
こんな風に言われたら、恐縮する部分もあるだろうけど、
ものすっごい嬉しいだろうな…と思いました。
聞いているわたしですら、うるっとくるほど、その言葉を嬉しく聞いていました。


そして、お二人の身体を通して出てきた言葉のそのどれもが、
キラキラと輝いていて、時に生臭くて、
忘れたくないものばかりでした。


「オシャレ」って言葉ってオシャレじゃない。
太宰は時に露悪的で、自分が悪者になる。
富士に託して、富士で許す(『富獄百景』について)
とか。
中でも「世界に対して、輪郭が淡い自分でいたい」
っていう西さんの言葉は、印象に残りました。


西さんは褒められると、
「恐れ多いです」「勿体ない」と謙虚な言葉が出てくるのですが、
それは又吉さんも同じで。
でも、それは謙虚という言葉で片付けられるような言葉ではなくて
相手を尊敬した上での言葉だった気がします。


そして、それぞれの「わたし」という存在が文章を書くという意味を
ものすごく感じた時間で、
無性にブログを書きたくなってしまいました。
何が欠けても、どの瞬間が欠けても、「わたし」ではないんだと思うと、
全ての世界が眩く感じます。


あと、すべてのタイトルを「人間」に置き換えるってどんな発想なのかしら
と初めて聞いた話だったのでゾクゾクしました。


よく後輩芸人の方が又吉さんの「大丈夫。」を聞きにくると言う話を聞いたことがあるのですが、
西さんも同じことを話されていて、
改めて、又吉さんって何なんだろと思ってしまえたり、
本当に、言葉になっていないものを言葉にできる才能が
わたしも心底欲しくて、
でも、そうできるには、どれだけのものを吸収してきたのかとも思いました。


西さん、又吉さん
予約してくれたお友だち
一緒に行ってくれたお友だち
ありがとうございます。
感謝の気持ちを込めて。





わたしは西加奈子又吉直樹が存在する時代に生まれてしあわせだ。

*1:2014年12月号

*2:又吉さんが太宰の命日である6/19に2009年から開催しているライブ。トーク・コント・大喜利など様々な角度から太宰を紐解いていくライブ。

*3:『東京百景』二「下北沢駅前の喧騒」より

*4:三十九「駒場日本近代文学館」など

*5:Webマガジン幻冬舎 又吉直樹『第2図書係補佐』刊行記念インタビュー