限界の向こう側。

気まぐれですが今回もラジオのことを書きます。
あっ!という間に過ぎ去っていった30分でした。


○又吉書物語り「ペンネームを考える」
昔の作家はペンネームで活動してた方が多いということから、
さまざまな作家の方のペンネームの由来を話していました。
江戸川乱歩
本名:平井太郎
由来:エドガー・アラン・ポーから文字ってとった。
又吉コメント:あの乱歩の世界観からは本名が結びつかない。


二葉亭四迷
本名:長谷川辰之助
由来:文学に理解のない父から「くたばってしめえ」からペンネームをとった。
又吉コメント:おしゃれ。


夏目漱石
本名:夏目金之助
由来:漱石陳留という四字熟語
四字熟語の意味は屁理屈をいって言い逃れをすること。
負け惜しみが強いことの例え。
川の中にある石でどんどん研ぎ澄まされていって丸に近づいて行ってる境地。


伊坂幸太郎
由来:西村京太郎と同格数の名前をつけた。


三島由紀夫
本名:平岡公威
由来:編集部で適当につけたもの。
苗字は修繕時温泉の乗換駅の三島から。
本人は本名の読み方を変えて「ひらおかこうい」がいいと言って
三島由紀夫」に難色を示したが、説得してそうなった。


●半村 良
由来:イーデスハンソンを漢字にした。
はんそんを半村。いいですを良。


よしもとばなな
由来:彼女が好きなばななの花から来ている。
又吉コメント:僕だったら又吉コスモス。


※由来は諸説あるとのことです。


●芸人としてのペンネーム。
芸人もコンビ名を考える。
僕らは「ピース」にするときいろいろ考えて、
何か他の力に任せようとカタカナ語辞典で開いたところが「スカベンジャー」。
意味を読んだら「蛆虫」だったので平和な名前にしようと簡単に「ピース」にした。


後輩のコンビ名を考えることもあり、
「寿ファンファーレ」というめちゃくちゃ縁起がいい名前をつけたことがあった。
自分が「線香花火」というコンビ名で解散してしまったので
言霊があるからそういう名前は良くないんかなと思ってつけたコンビ名だったが
寿ファンファーレはすぐに解散してしまう。
でも、解散した理由が結婚して奥さんに双子が産まれるという幸せなことだったから
やっぱり言霊はあるんだろうと思った。




○本の達人
前回に引き続きゲストの古井さんの登場。
古井さんは作家さんや編集の方などにファンが多い方だそう。
今回は古井さんの頭の中をちょっとのぞかせてもらおうということでした。
●どうやって作品をつくってるのか。作品を書くときのモチベーションはどこ?
自分に表現欲があるということが大前提。
ただその時その時、何を書きたいか、どういう構想があるかはっきりしない時がある。
毎月とか各月とか定期的に書くということを大事にしている。
書く間際まで、頭の中はかなり広く、こういうことを書くというのは決まってない。
言葉は浮かんでいて、出だしの文章を書くとどうにか少しまとまる。
さらに何を書きたいか、かなり進むまで時間がかかり、
ひと段落ごとに空白の中に戻り、半分を越えたころに流れがきまるが
最後でまた分からなくなって、最後まで書いてやっと自分で分かる。
なので、最初には持っていないような終いになることのほうが多い。


●構成が最初になくて書けるのか?
なんか呼び出してくる。お終いになると自分でも驚く。
書くことは考えるとはちょっと違う、肉体的な仕事。
全身から何かを呼び出している。頭だけで考えると前に進めない。


芸人でも、同じことを言うのでも人によってウケが違うと又吉さん。
それは単純な人気ではなく、肉体とか本人から発せられているかどうかの違い。
まっすぐに発した場合はウケる。


●きっかけとなるもの。
日々の何かを感じて作品にする。
人の言葉の切れ端。それが残って、こだまする。
耳にしたり本で読んだりしたことが、
ひょいとひっかかって、一片の作品が展開することが多くなってる。
耳につく声ををじっと聞いてると自分の中から何かひきだしてくる。
ゆっくり…ゆっくり……


●昔と今。
昔知っててすかっり忘れてて、こういうことかと思うことがある。その断片。
若いころと今では、感じ方が大きく変わってくる。
年を重ねたから深いというわけではない。別なニュアンスを帯びてくる。
これだけ感じが違うというとこから昔を思い出すことに繋がる。


●出発。
表現の限界を超えてからが表現者としての出発点。
書くことがなくなってしまってから、モノを書くことが出発。
頭で考えるという意味での書くことは、やがて書ききる。
なかなか書きたいことが浮かんでこないけど、表現欲がある場合…
表現欲がある以上、何か書きたいことがあるはず。
それを手繰り寄せる。
又吉さんは、何も浮かばないときは散歩する。
外を歩いて匂いや声を聴いてるうちに感覚が刺激されて何かが生まれる。
子供が叫んだりすることもきっかけになる。
表現をしようとする人間は行き詰ってからが勝負どころ。



●引き返す難しさ。
古井さんの本を読んでいると、自然との距離感が近いように感じる。
ご本人も遠くなったり近くなったりしている。
山に登ることがあり、登ってて疲れるにつれて見え方が違ってくる。
聞こえ方も違ってきて、自然が別の姿にみえてきて、匂いにも敏感になる。
山道に迷い込んだとき、どんな道か感じ分けるのは、人の匂いが濃いかどうか。
濃いのが山道。
引き返すのは難しく、無理していくとおかしなことになる。
今までしてきたことが無駄になるから、
間違えと気づいて引き返すことぐらい難しいことはない。
おかしいなと思うけど、そう思えば思うほど意固地になって進んでしまう。
それはモノを書いていてもあること。
古井さんが目指しているところは、
書き手である自分がどんどん小さくなっていくこと。
誰が書いてるんだろうと自分でも首をかしげるような文章を書きたい。
ただ言葉がある。
昔の物語はそうだったので、作者がいなくても未だに語り継がれている。
本当の普遍性があればそうなっていくはず。




又吉さんは古井さんに初めて会った時も
あの作品を書くのはこの人以外いないなと思った。
何を質問しても返ってくる。文学のこと以外のお笑いのことでも。
しかも、それがすごい適格。
古井さんは、あらゆることの先輩。
お会いしてから本を読んでいると、より深みが増したということはある。
なので、サイン会に行って作家さんの顔をみるというのも面白いかもしれない。