リンクする思い。

気まぐれに聴いたラジオの時間です。


「この世は二人組ではできあがらない 」


山崎ナオコーラさんの小説のタイトルを読んで始まった17回目?
このタイトルの言葉は、ハっとする言葉。
すごい引っかかる言葉で、作品を読んでも当たり前として
僕らが受け入れがちなことだったりにちゃんとひっかかっていく。
山崎ナオコーラさんの作品は、ちゃんと違和感として抜き出してくれる感覚が
味わえる小説が多いんで好きですということでした。



最近は俳句の本を結構読んでいて、堀本裕樹さんにすばるで
「ササる俳句 笑う俳句」という連載で俳句を教わっているところ。
そこで手に取ったのが『歳時記』。季語が春夏秋冬新年と載っていて、
知らない言葉がたくさん載っているので読むのが楽しい。
どの辞書よりも感情の細やかなとこまでイメージが膨らんでいくような
言葉と説明文が載っている。
その季語をつかった俳句も一緒に載っていて、それを読むのもすごい楽しい。
今までこの歳時記を持たずにどうやって俳句を読もうとしていたんだろうと思うくらい。


○又吉書物語り「又吉現代女流作家を語る」
西さんお話をよくしているけども、その他にも素晴らしい作家さんがたくさんいる。
梨木香歩『家守綺譚』
すごい好きな小説。主人公が売れてない物書き。
時代が昭和なんかな?昭和初期化もっと前か明治大正くらいの時代で
大学時代に亡くなった友人の家の家守をすることになる。
床の間に掛け軸が飾ってあって、
そこから亡くなった友人が出てきたりする幻想的な世界。


梨木さんの文章がしなやかで、そういう世界がコミカルじゃなく描かれている。
亡くなった友だちが出てきて「百日紅がお前のことを好いてるぞ。」と友だちが言う。
植物とか自然における距離が近い小説で、そういうものが僕は大好きなんです。と。
又吉さんが好きな河童がでてきたりするよう。


自然のものとの距離感って一歩間違えたら、
現実的じゃなさすぎるような感触になりやすいのかなと思ってる。
それを受け入れられる距離感で書かれてるのが素晴らしい。


又吉さんの田舎の沖縄は、全ての生き物に神様が宿っているという考え方。
又吉さんのおじいちゃんは又吉さんが小さいころに亡くなっていて、
ある日虫が入ってきて僕が怖がってたら
「おじいちゃんがお前を見に来たんや。
だからこの家にいる虫は全部おじいちゃんがお前を見に来てるから殺したらあかん。」
とおばあちゃんに言われたが、
翌日おばあちゃんが太ももにとまってる蚊を殺してるのを見た。


沖縄のお墓参りは、沖縄の言葉で普通に喋ってる。
お墓でも飲める場所がある。
この世のものじゃないものとの距離も近いし、この感じいいなぁすごい好きやなぁ
とそういう感覚を本の中から得られるというか…
ぜひ読んでほしいとのことです。


とここでだいぶ時間の配分を間違ってしまたことを謝りつつ、
他の素晴らしい作品のタイトルだけでも紹介。
絲山秋子『逃亡くそたわけ』
川上未映子『ヘブン』



○本の達人 
ゲストは、詩人で小説家の小池昌代さん。


今回が初対面ではなく、本を紹介する番組で*1以前ご一緒したそう。
その後『ことば汁』の帯文を又吉さんが書いた。


小池さんは詩人からスタートし、そこから小説も書くようになった。
又吉さんは言葉というもの自体がすごく好きで(そう話す又吉さんに小池さん感心)
現代詩を読んでいて、この単語とかこの雰囲気素敵だなと思うけど
理解できていない気がしている。
解説を読むと全くそんな思いに至らなかったなと思うことが多く、
何とか現代詩との距離を縮めたいと思っていた。


自由律俳句『まさかジープで来るとは』に載っている又吉さんの句

永遠にこないパスを待つ

サッカーやってて、チームメイトから好かれてなくパスが来ない。
「ヘイヘイ!」と呼び続けないとパスが来ないことから生まれた。


この句を読んだある尊敬してる人に
「永遠に来ないバスとパスじゃえらい違いだ。」と言われ
何となく調べたら「永遠にこないバス」という言葉を生み出されている方がいると知った。
そこで番組で一緒になった時に言おうかと思ったが
「だから何やねん」と言われそうでやめてしまった。


●現代詩とは何?
何かよく分からないものになっているけど現代に書いている詩が現代詩。
ラップも自由律俳句も呟きやコピーも現代詩に捉えられる。
「現代詩人」という人がいてお金にならなくとも発表しているものが
狭い意味で現代詩と呼んでいる。


小池さんにも理解できない詩がいっぱいあり、
どうしてこれが面白いんだと頭に来る詩もあるし、いいなと涙を流した詩も
言葉そのものに刺激をうけて読んできた詩もあるし、一口に言えない。


「新しさ」ってすぐには分からないもので、時間が経って少し分かってくる。
町田康さんもそういうところがあったんじゃないかと小池さんが話されていました。


●気持ちありき。
意味なんて考えなくて良くて、ちょっと脇においといていい。
意味を通そうとすると整理されてしまう。
人間は、感情を言葉にしようとして最短距離で結ぼうとすると訳が分からなくて当然。
意味からは解放されてるけど感情と近い位置で結ばれているもので、
100%伝えられない…
日常の言葉では伝えられない…
表現する言葉がない!
けど言葉にしたい!
っていう気持ちから始まる。
書こう作ろうって始めるもの。


●一定のルール
一気書きというものがあるそう。
整理整頓して推敲しすぎると詩が死んでしまう。
ルールはないようなもので、言葉の勢いは欲しい。
そこに命のいきてるエネルギーが一貫して通っている。
書いてみなきゃ自分の中から何がでてくるか分からないので、まず書いてみる。
それが現代詩の言語表現の源で醍醐味。


又吉さんも漫才などのネタを書いてる。
頭で考えて書くと自分で考えることしか書けないので、
夜中とかにノートに延々意識がぶっ飛ぶまで書いて
後から読み返すと95%おもんないけど一か所くらい普段では出えへん言葉がある。
「それに近いですか?」と又吉さんが聞くと「全く同じ」との答え。
自分が書いたんだけど自分じゃないものが押し出してくれた。自分じゃないものの力。


●楽しみ方。
読むときに、それをどう感じるかというのが楽しみ方。
自分で書いたものを冷静になって読んでみると、
書いたときの興奮なり感情なりを正確に読んでくれることが時々ある。
人間のやることって、どこかで繋がることができて、
興奮なり感情の爆発なりを感じ取ることができるはず。
自分が思ってることを感じ取ることが大事。


読んでいて「違う解釈でもいいのか?」と聞く又吉さんに「いいと思います。」と小池さん。


●読者が育てる。
俳句をつくっていくのは読者で、その読みが作品をつくり、
同じことが現代詩にも言える。
書かれた後が面白く、読者にはとんでもないこと言う人がいる。
わたしは想像しなかった読み方を見出してくれる人は最高の読者。
そういう読み方をされても、自分の意識の底の底に否定できない感情がある。
そういう読みをどんどん想像していく。
その話を聞いて又吉さんも自信をもって現代詩を好きと言えると安心したよう。


小池さんは、
自分だけが違う読み方をしちゃうんじゃないか
という恐怖を突破すると凄いとこに出れる。
書き手も思いがけないところに出たい。そういう読者に出会うために書いてる。
と話していました。


次回(再来週)も引き続き小池さんがゲストです。






このラジオを聴いていると、度々出てくるのが
「自分の限界を超える」とか「自分じゃないものが書いている」
「言葉にならない・行き詰ったところからスタートする」というお話。
頭で考えるものではないとも知り、それがモノを書くということなんだと思うと、
改めて凄いことだなと感じました。
本当に身を削って書くものなんだと。
そう思って読むと、また重みが違ってくるように思います。


書くということで言えば、ブログを始めて気付いたことは、
わたしは感想を言葉にするのが苦手。分析することもできない。
本当はしたいけど、できません…
だから、そういうものをきちんと言葉にされている方のブログを読むと
もう…うっとりしてしまいます。
目から鱗、口からため息、鼻から熱風が出ています。


感想を言葉にするのが苦手なのは理由がなんとなく分かっています。
舞台を観ても、小説を読んでいても、映画を観ても、
わたしは色んな人の感想を読むとそこまで至らなかったと思ってばかりです。
なので、今回のお話の中でも出てきたように「それ違うよ」と思われるんじゃないかと。
でも、それでもいい。自分の解釈でいいと知って、少し安心しました。
しかも、そこを突破するともっと面白いなんて、奥深いものです。


そして何より!今回はラジオで嬉しいことがありました。
言霊はある!ありますね。素敵です。

*1:『週刊ブックレビュー』2009年7月28日放送