どっぷり。

わたしも歴女に括られるのでしょうか。
たぶん穂村さんじゃなかったら録音しようと思わなかったかもしれないのですが…
と早速ダメっぷりを発揮したところで。
ラジオを聴きました。



又吉さんは、笑いと文学はほとんど一緒じゃないかと思っていて、
小説にはつくりあげた世界を笑いでつぶす面白さがあるという。
文学のもとを辿ると、落語を書きうつした速記本が関係していたりもする。
又吉さんは、物語と笑いが混然一体となって迫ってくる、
離れ離れになっていない小説が好き。
今の作家さんで挙げるならば、西加奈子さん。


今回も前回に引き続き穂村さんがゲスト。
●エッセイを書くきっかけ。
直接的なきっかけは依頼されたから。
年をとったら一瞬ではなく、もうちょっと連打できるようになったので
エッセイも書けるようになった。


又吉さんは穂村さんでエッセイが好きになった。
エッセイは個人的なことを書いていると思ったけれど
共感できるものと物語性があると分かったそう。


穂村さんはエッセイで社会的には何の価値もないけど
個人としては心の割合を大きく占めているものを書いている。


又吉さんが共感したひとつが
『もうおうちにかえりましょう』の飲み会が苦手のエピソード(「マイナス星人」)
気付くと一人ぼっちになってしまって、
そのことがばれたくなくておしながきを読んでたりすることがある。
穂村さん曰くこの感覚は、
誰も見ていないのにスポットライトが当たってるような
自意識がジャマしてしまっている。
穂村さんのエッセイにはこのような
人に言えなかった感覚が書かれていて、ある種救いになる。


『第2図書係補佐』を「YOOH!」で連載していた時の
第1回目が穂村さんの『もうおうちにかえりましょう』だった。
又吉さんと同世代やもっと若い劇場にきてくれる人に向けた連載だったので
言葉や表現そのもので入っていけて、
本の読み方の指南書になってるんじゃないかと選んだそう。


●短歌とエッセイの違い。
例えるなら、カルピスの原液が短歌で、カルピスがエッセイ。
濃度が違う。
短歌には、共感だけでなくワンダーみたいな何かがある。
ワンダーというのは
してはいけないことをしてしまうんじゃないかということを
心のどこかで望んでいるようなこと。
それをテレビで見る又吉さんにも求めてるんじゃないかと。


又吉さんが文学やお笑い、音楽に求めているものは「共感」と「驚き」
エッセイには「共感」があり、短歌には「驚き」がある。
そして、共感と驚きは近いものである。
という話しで時間は過ぎ去ってきました。



わたしが穂村さんを知ったきっかけは夏の集英社文庫の冊子の載っていた
『本当はちがうんだ日記』の解説でした。
それを読み「これは!」といそいそと本屋さんへ走り
へらへらへっらへら笑いながら読み
わたしの直感は間違ってなかたと自分を褒めました。
でも、本当は『カキフライ〜』の帯で名前を見ていたはずなのですが
その時、帯の人と同じ人だとすぐに繋がらなかったのです…


わたしは、小説よりエッセイばかり読んできたので
エッセイに共感があるというのはすごく分かります。
いつも分かる分かると読んで、つい笑ってしまうエッセイが好きで
又吉さんも話していましたが、
誰にも言わなかった感覚を違う誰かも感じていると知り、救われるんです。
そして、その人がもっと好きになるんです。

きっと又吉さんを好きな方なら、
穂村さんのエッセイはかなり共感できるのではないかと思います。


又吉さんの話を聞いてからは、小説にもその同じ感覚があるんだと知り
小説にも目が向くようになりました。
ありがたや。


はぁこの二人の対談は、トーンといい内容といいもう堪りませんでした…
いくらでも聞いていれる自信があります。
またどこかで是非…と最後に話していたので
わたしはその是非を心から待ち望んでおります。