一瞬を言葉にする。

ラジオのゲストが穂村さんで今度はパソコンの前で叫んでしまいました。
3回目聴き逃さなくて、本当に良かったです。
野球中継ありがとう。


先日の立教大学での講演の話しから、
本を読む理由のひとつである「感覚の発見」についての話しの中で。

中村文則さんの『何もかも憂欝な夜に』の中に
自分じゃなくて命そのものに価値があるから生きている意味がある。
ということが感じられる言葉を見つけた時にもこの感覚の発見があったそう。


ただのあるあるじゃなくて、言語化できてなかったものが
書かれてるのが文学の魅力じゃないかなということ。


そして登場したゲストの穂村さん。
こんな声なんだ…と初めて聴いた声にワクワクどきどき。
穂村さんは又吉さんの俳句を読んでいて
全員が体験があるんだけど、誰かに言ったことない。
生々しい心がそのまんま見せられているような気がして夢中になったそう。


穂村さんは
一瞬だけ言葉に置き換えればいいんだ。
一瞬なら頑張れる。
と短歌を始めた。


バスが苦手な又吉さん。穂村さんとバスのあるあるで盛り上がる。
・ボタンを押すのも恥ずかしい時がある
・誰も降りないところで降りなきゃいけない時に
 ここで降りんなよと思われてるんじゃないかと不安になる
・勇気を出して降りますボタンを押そうとしたのに
 あと1センチくらいのところで誰かに押されると傷つく


又吉さんはモノボケ一発ギャグが苦手だった。
ライブの終盤でやることになるとみんなの後ろで隠れてた。
落語・漫才・芝居まであるのに、なぜ一発に全てをかけなあかんねんと。


しかし穂村さんの短歌を読んで、
その一言からイメージがひろがってくような表現をやってみよう
と心掛けると苦手と思っていたものが違って見えた。
穂村さんもお笑い芸人の感覚は詩人に近いと思っている。
又吉さんの俳句を読んで、この人は物書きにすぐなれると思った。


「寝不足でつらい」はあるあるにならない。
「起きているのに寝息」*1だとあると思える。


といった感じの声のトーンといい落ち着く二人の対談でした…
幸せだ…
たにしのゲストに穂村さんとかないだろうか…
あったら鼻息を荒々しくして向かうのに。
荒くどころではなく、荒々しく。
次回は再来週…ゲストは同じく穂村さん。
11月が早くも待ち遠しいです。

*1:『まさかジープで来るとは』より